【人生とうつ】実録!私のうつとの出会い。そしてパートナーになるまでの道のり。

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これまで人間関係や対話、仕事・恋愛・転職など、自身の経験・体験を基に色々と書いてきました。

それも前向きな文面で。

でもそんな私ですが今から20年近く前に「うつ状態」と診断される事が起きました。

現在ではよく耳にするようになりましたが、当時は恥ずかしくて人に言えるような社会環境ではなかったですね。

今この時点でも多くの人が陥り悩んでいると思います。私もできれば2度と経験したくありません。

この記事では、今の私を形成するのに(今となっては)不可欠だったと思えるようになるまでの話を書いていければと思います。

この記事は、症状の緩和や寛解を保証するものではありません。あくまで個人としての体験談ですので、その点にご了承いただければと思います。

学生時代

小学校から高校まで野球をやっていた私は、ありがたいことにいつもレギュラーとして試合に出る事ができていました。

そのほかにも人から教わった趣味など、取り組むと人並みにできるくらいのレベルにはなっていたのです。

野球少年でした

性格的に中途半端にやるのが好きじゃなかったからかもしれません。

大学では授業に出ないで学食で喋っていたり、友達と遊びに出かけていたりとかなり奔放にしていましたが、

テストだけは悪い点を取りたくなくて人知れず勉強して赤点をとる事なく学生生活を終える事ができました。

就職活動もそこそこやって一部上場企業に就職が決まりました。

ここまででおそらく自分のプライドは出来上がってしまったのだと思います。

後になって小学校の頃の通知表に先生から

「やればもっとできるのに、自分より下の人を見て安心しないように」

と書かれた事を強烈に思い出します。

痛いとこ突かれた!って思いましたねw

新卒で社会人になって

新卒で入社した企業でセールスアソシエイトとして社会人のスタートを切ったわけですが、

元々人と接する事が好きだった私は、接客も特に苦ではなく順調に売上を伸ばしていきました。

そして2年がたった頃、自分から志願したのもあって会社の新規事業の新店舗のオープニングメンバーに選ばれます。

ここは本当に体力的にしんどかったのですが、同期が2人いて主任も良い人で周囲に恵まれ誇りを持って仕事に取り組んでいました。

転機となったのは異動の辞令が出て私がオープニングの中で一番早くその店を卒業することになった事です。

今まで通勤も30分だったのが3倍の1時間半かかる店舗、同期含め社員5名で16名のアルバイトの女性で和気藹々とやっていたところから、社員は店長と2人の小規模店舗への異動。

あまりのギャップに一気にモチベーションはガタ落ちです。

異動辞令

この頃から仕事中にめまいというか立ちくらみのような症状が現れます。

思えばここから始まっていたんだと思いますが、単なる疲れだとその時は思っていました。

それが20年以上も続く付き合いになるとはこの時は知る由もありませんでした。

初めての営業職への転職。そして人生で初めての大きな挫折

以前の店舗では全く考えていませんでしたが、異動をしてから自分が40代、50代になった時を考えるようになりました。

その年でまだ店頭に立ち続けるのか?それとももっと広い世界へ飛び出すべきか?

平日のお客様が営業職の方が多いこともあって、世間話の中で営業について聞いたりしているうち、

店舗で待ちの営業をするのではなく、こちらから動いていく「攻めの営業」がしたい。

そう思うようになりました。

そして会社には内緒で転職活動を開始しました。

年齢的にもまだ若く転職歴もなかったこともあってか、比較的早い段階で希望する企業からの内定を獲得する事ができました。

そうして新たなフィールドへと飛び出して行ったわけです。

それがさらなる悪夢に繋がるとも知らずに。

ルート営業として入社したはずが、新しくできた新規開拓専門の部署に配属となり、毎日飛込み営業をする日々が始まりました。

それでも最初は新鮮さもあって意気揚々と営業活動をしていました。

しかし同期で入った年下の女の子の方が先に実績をあげ、しかも上司にタメ口を聞くような感じの子だった事で、

厳しい新入社員研修を前職で受けた私はいつしか対抗心を燃やすようになっていました。

それからもその女の子はどんどんと実績を重ねる一方で、私は単発の単価の安い仕事しか取れずどんどん焦っていきました。

その頃には既に仕事は楽しくなく目まいも前職とは比べ物にならないものになっていました。

既にできてしまったプライドにヒビが入ってっていたのだと思います。

めまい

精神の崩壊と先の見えない日々

そんな日々を1日1日なんとかやり過ごす中、友達が行政書士の資格の勉強をしている事をしりました。

「そうだ!国家資格をとってそれで仕事をやめてそっちでやっていこう」

と安直な考えから私も行政書士の資格の勉強を始めたのです。

結局これが決定打となってしまうのに。。。

 

朝は出勤前に1時間勉強し、仕事を終え帰宅すると15分で食事を済ませ近くのカフェへ両手いっぱいに参考書を持って閉店まで勉強、

帰宅して寝るまでの間も勉強。

土日は図書館で開館から閉館まで勉強。帰宅して15分で食事をすませカフェで勉強。

それを半年間続けました。

当時私にとってそれをする事が現実から逃れる方法だったんです。

そんな私の異常とも言える状況を見かねた母に止められましたが、私はお構いなく続けていました。

半年が経つ頃には頭の皮膚が後ろに引っ張られるような、ギーっと音がしそうなくらい張り詰めた状態でした。

わかってはいましたが止まったら終わってしまう。

行政書士の資格試験は年に1度、10月の最終日曜にしかありません。

半年しか時間のなかった私は一発合格を目指して視野が異常に狭くなっていたと思います。

そして遂に運命の時がやってきました。

忘れもしない2003年10月4日。

その日は休みだったので図書館でいつものように勉強しようと思って行ってみたら臨時閉館していたので家で勉強していました。

なんだか異常に疲れた私は「15分だけ横になろう」と横になり目を閉じました。

そして15分たったかなと起き上がり参考書を開いた瞬間、視界がグルン!と回ったのを覚えています。途端に息がしづらくなり慌てました。

俗にいうパニック症状です。これはヤバイ!と思い恐怖を覚え母に電話しました。

母もまた産後うつを経験しており、過呼吸の時の対処方法を知っていたのです。

私にビニール袋で二酸化炭素を吸いなさいと言われ過呼吸は治りました。

帰宅した母は「やっぱりこうなると思った。無理にでも止めるべきだった」と言っていました。

そのまま母が通っていた心療内科へ連れていかれ症状とそうなった経緯を説明しているうちに止めどなく涙が溢れました。

そうして薬を処方され帰宅したは良いものの何もできなくなり、そこから4日間、横になり天井を見つめていました。

もちろん仕事にもいけず母に電話してもらい休職したんです。

情けなくて毎日涙がこぼれました。

既に毎日胃が痛くて自転車で段差を乗り越える時にも激痛が走るようになっていたので調べると胃と十二指腸に潰瘍もできていました。

ここが人生で最悪の状態だったと思います。

この日が私の「第2の誕生日」となったのです。

自分は何者かを自問自答する日々

この状態ではありましたが勉強したので試験は受けました。

しかし6点足らず不合格。

仕事も辞めて文字どり全てを失ったと思いました。

外に出ることさえ怖くて、人に会いたくないと自らの殻に閉じこもっていました。

でも家にいるのも親に申し訳なくて自転車で外に出ては建物のトイレでうなだれて涙を流す毎日。

本当に辛かったです。

そんな状況を助けてくれたのも両親でした。

前述の通り母もうつ経験者だったこと、父も私の異常なまでの勉強に対する執着に危険を感じていたようです。

それまでなんでも器用にこなして人並み以上に結果を出してきたのに、仕事も試験も結果が出せなかった。

人生終わったとすら思っていましたが、両親の

そんなんで人生終わらない、人間簡単に終わらない」

という言葉は今も深く刺さっています。

人生で初めて自分の力でどうにもできなかった。

そう人生で初めての挫折を味わったんです。

この時26歳。

今になって思うとまだ結婚せず家庭を持つ前でよかったと思えています。

そこまでのキャリアが途絶えてしまい、自分はどうすれば良いのか、何者なのかをずっと考えていました。

やる気なし

社会復帰とうつ状態との付き合い。そして恩師との出逢い。

それから半年後、元いたアパレル業界に戻ろうと決めた私はある会社に転職する事ができました。

しかしここでも私は大きな勘違いをしていたのです。

でも今度の勘違いは良い方向へと進むことになるのです。

当時、まだ紙媒体だったとらばーゆで見た企業に知っているブランドのロゴがたくさん載っているのをみてメーカーだと思って面接に行ったら

そこはいわゆる「アウトソーシング」をする企業で、掲載ロゴのブランドの店舗運営を代行したり、スタッフを派遣したりする企業だったのです。

予想外!

販売に戻るつもりで面接に行ったんですが、そこで面接に現れたその後の恩師となる人の説明を受けてやってみたいと思い入社しました。

そして店舗ではなく本部での仕事に就きました。

そう、私のその後の長いエージェント人生はこうして突然、意図せず始まったんです。

社会復帰したは良いものの、頻繁にソワソワする感覚に襲われながらも薬で抑え、親にも言われた

「あんたすぐ周りが見えなくなるんだからソワソワしたらブレーキかけなさい」

という言葉を教訓に、自分の中にブレーキを設置し、危うい時は一旦離れるという事を覚えてだんだんとその感覚は薄れていきました。

無理をせずにやっていく事で、あれだけ人と話すのも会うのも嫌だったのに多くの店舗スタッフの管理や相談を受ける仕事をするようになって行ったんです。

自分でも信じられませんでした。

どこかに逃げ道を作っておくだけでこんなにも変わるものか!と。

人生のペースは人それぞれ。ゆっくりでいい。

その会社ではいろんな事を経験させてもらいました。

エージェントとしてはもちろんのこと、大阪支社を設立するということで単身大阪に行ってゼロから軌道に乗せたり、

そこで初めて一人暮らしを経験したり。

大変でしたが、以前とは全く質の違う楽しいものでした。

これがずっと続けばよかったのですが人生そう甘くはないですね。

その後、給与未払いが発生したり、転職した会社では上司に目をつけられあらぬ疑いをかけられたり、いろんな事がありました。

でも全ては「あの頃よりマシ」で片付いてしまうようなレベルでした。

あの経験は2度としたくないですが、あの経験が私を強くしてくれたことも事実です。

今もソワソワっとすることはありますが、同様の方法で切り抜けています。

というか、そう考える間もなく体が動いている感覚ですね。

何事も無駄になることは一つもなかったです。しんどかったけど。

自分の人生なんだから他人にとやかく言われず自分のペースで進む。

これが正解なんだと思います。

うつ状態を一度味わってしまうと完治させるってなかなか難しいんだなと感じていて、今も「うまく付き合っている」という感覚です。

今では自分のブレーキになってくれて自制をかけてくれる存在です。

しんどかったら休めばいい。それで世界が変わることはないです。私はこれからも私のペースでできることはしっかりと、できないことはできないとはっきり言える自分でありたいと思います。

ここまで長々と自分自身の事を書いたのは初めてかもしれません。

最後まで読んで頂いて本当にありがとうございます。

苦労のある人生の方が何かに到達した時の嬉しさは大きい

うつを経験して私はその権利を得たんだ、と今はそう思えています。

もしもあなたが今、同じような症状で悩んでいたり、ストレスに感じていたら

仕事でうつを発症。辛いあなたに専門のパートナー機関を紹介します。

も合わせて読んでみてください!頼もしいパートナーもご紹介しています。

同じような症状に苦しんでいる人にも、そこがあなたの人生の正しい方向へのターニングポイントなんだと強くお伝えしたいです。

無理にねじ曲げないで心が穏やかになるまでゆっくり、共に歩んでいきましょう。

Kazutomo

コメント

  1. […] 前の記事でも書いたうつとの出会い。 これは今でも1番の苦しい思い出です。 https://kazutomo-nagasawa.com/?p=1731 でもあの絶望があったからこそ、同じ状況の人への接し方がわかるし、解放 […]

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